Multi-Crossing-View 世界の見方を変える6つのステップ

マルチクロッシングビュー 生き方が変わる時間の見方

背中で語る

「背中で語る」・・・いい言葉です
しかしこの言葉が使われるすべての場面で
その意味が全く間違っています

「私は背中で語る」
  口で語っていますけど?

「ごちゃごちゃ言葉を並べたくない
 生きざまで示したい」
  ごちゃごちゃ言葉を並べてますけど?

「背中で語ろう」と意識して
 自分の背中を見る者を導こうとか
 自分の背中を見る者を助けようとか
 自分の背中を見る者に何かを教えようとか
 そんな気持ちがあると
 自分がコケて大けがをします


自分の背中は見えないのですから
それを誰かへのメッセージに
使おうというのがそもそも無理です

あなたが見るのは前だけでいい
誰かを助けるとか
誰かを導くとか
そんな意識がまったくないところに
本当の「背中で語る」があります

超高速で前進しているわけですから
自分の背中のことなど考えていられません

自殺について

自殺はすべきではない
まあそれはそうなんだけど
それはただ
あなたは今「自分が死ぬこと」だけにこだわっていますよ
頭の中がそれだけで一杯になっていますよ
しがみついていますよ
あなたの足が止まっていますよ
結局それだけの話です

「自殺は絶対にしないで」
「自分の可能性を信じてください」
「未来は絶望だけではない希望を持ちましょう」
「どんな人間にも生きてる意味があります
 あなたにも必ず見つかります」
こんなふうに必死に自殺阻止に尽力することも
自殺したがるのと同じくらいの
足の止め方であり停滞のやり方です

そしてそれは
「自殺するのはダメだ」という価値観の押し付けです
勝手な価値観の押し付けは
死にたがっている人に対して一番してはいけないこと
それなのにその場は自殺を思いとどまらせて
私はこの人の命を救った
自分は良いことをしたと自己満足にひたっています

「この人を救わなければ」
と身構えるのがダメです

子育てとか教育でも
「私がこの子を育てるんだ」とか
「私がこの人を更生させる」
「私がこの人を正しく導く」
そうやって身構える
それがダメです

あなたが超高速で前進しているなら
むこうがあなたの進む背中を見る
背中を見せるではなく
むこうが勝手に背中を見る
多分そのほうが100倍良い

 

自分が超高速で前進していると自覚できれば
自殺することなど思いつきもしません

例えば
すべてのカットを撮影し終えて
映画完成のためにあとは編集するだけ
という映画監督がいるとします

もちろんその監督は「自殺」など考えない
それどころじゃありません
その監督の目の前で誰かが自殺しようとしても
監督はそれを止めません
止められません
なぜなら今監督には「自殺したい」という気持ちを
想像できません理解できません共感できません
本当にそれどころじゃないんです

「えーと?・・・・・・死にたいって??
 あーなるほど、話を聞くだけならいいよ
 君の話を聞かせてください
 でも私は自分の仕事しながらでもいいかな?」

 

自殺について書くのは難しいです
上の文もかなりダメダメです
数日後に削除するかもしません

世界を造り変える方法

7月に入ったばかりだというのに
ものすごい猛暑

Aさんは考えます
この夏はすごい暑さになる
なんとかして過ごしやすい夏にできないか
自分のためにも みんなのためにも

Aさんはあることをひらめきます

太陽を背にして立ち
右足と左足を交互に前に出す

これがAさんの発見した
世界を涼しくする方法でした

まず1日かけてやってみる
暑さは全く変わりません
でもAさんはあきらめません

2日3日4日やはり変化なし

7日8日9日・・・・ひたすらに続けます

20日30日少し気温が下がってきました

40日過ぎました
8月の半ばだというのに過ごしやすい気候になっています
Aさんは喜びます
「やったー!俺が世界を涼しくしたんだ!
 みんな聞いてくれ、世界は変えられるんだ
 みんなにだってできるんだよ
 俺がみんなにやり方を教える」

しかしなぜか周囲の人たちは苦笑します
「あんただね 東京から徒歩で来た変人というのは
 涼しい?青森の夏は毎年こんなもんだよ」


Aさんの試みは大成功でした
Aさんは夏を涼しく変えました
Aさんが世界を造り変えたんです
世界を造り変えたのはAさんです

でもそれを人に自慢できません
人に教えることはできません
なぜならそこにいる人にはあたりまえのことでした

私たちは世界を造り変えることができます
でも実はそれはこんな感じです
いうならば「それがとっくにあたりまえになってる世界」に
自分が一番最後にたどり着く
そういう事なのです

もしあなたがたくさんのお金を持ちたいのなら
みんなが持ちきれないほどお金をもっていて
誰もが邪魔なお金を押し付け合っている
そんな世界に行けばいい
それだけです

ただしそんな世界に行けるのは
「僕はお金なんていらないよ
 誰か僕のお金を貰って」
と思っている人だけでしょうけど


Aさんはあきらめずに粘って粘って
目標にたどり着きましたね

でも自分が世界を涼しくする事なんか
宇都宮とか郡山あたりで
早々に投げ出して
人を集めて
「世界は人生は変えられます
 私がその方法を教えます」
これをやってしまうポンコツ先生がたくさんいます
本当に悲しいくらいたくさんいます

想像してください

越谷とか福島とかに
自分でがむしゃらに前進することは止めてしまった
(多少の前進は続けています)
知ったかぶりの教えたがりの善意の先生たちがいます
先生たちには悪意はありません
自分は良い事をしていると信じています

そんな先生たちの活躍により
たくさんの人がそこで足を止めてしまいます
先生たちの素晴らしい指導に
心を奪われ足を止めてしまうのです
そして足を止めた人が新たな先生になっていきます

超高速で移動中の私たち

ホームストレッチを全開走行する2台のF1マシン

左のドライバーが操縦席から身を乗り出し
何かを叫んでいます
「おまえ、ブレーキのタイミングが早すぎる
 あと一呼吸遅くだ!」
右のドライバーが返事をする
「そうですか、ありがとうございます」

だめだろこれは

次のカーブが目の前です

2台そろってコースから外れ
見当違いの爆走を続ける


私たちは「誰かに正しい事を教える」は良い事だと信じています

また「誰かに正しい事を教わろう」としています

でもやってることはこれと同じ

教える側は自分は良い事をしてると思っている
教わる側は感謝し貴重な知識を得られたと思っている


テレビでもネットでもSNSでも書籍でも
学校でも職場でも国会でも町内会でも
知ったかぶりの教えたがりたちが
教える教える教える教える教える

そして自分は良い事をしている
それは相手の為になっている
相手を幸福にしている
社会の役に立っている
世界をより良いものにしている
それを疑わないのです

雲のように生きる

「何にもとらわれず雲のように生きたい」
 
いいですね

でも“何にも”とらわれたくないのですね
それなら「何にもとらわれず雲のように生きたい」が邪魔です

ここを間違う人がたくさんいます

それはいわば

「周りに迷惑だ!静かにしろ!!」と大声でさけぶようなもの

 会議が多すぎることを解決するために会議をひらくようなもの

「書を捨てよ」という本を愛読するようなもの

 理屈っぽい人間にならないための理屈を考えるようなもの

つまり出だしでもう間違えています

 目標をしっかり立てなさい
「こうなりたい」という理想を思い描きなさい

このように学校で先生たちから
何度も何度も繰り返し教えられたために
変な癖がついています


「何にもとらわれず雲のように生きたい」という目標が

「何にもとらわれず雲のように生きたい」という理想が

何にもとらわれず雲のように生きることには不要です

多くの人がそこでブレーキを踏みます

あなたは一人で山を散策しています
林が途切れ一気に視界が開けた瞬間
ある種の天啓があなたに降りてきます
「なんてこの世界は美しいんだ
 光が愛が満ち満ちている!!!」
あなたの脳裏に浮かぶ世界
そこでは争いも怒りも悲しみもなく
すべての人が望むままに生きています
【ブレーキ音】
おなたは多くの人を集めて自分の体験を語ります
「愛に満ちた誰でも思うままに生きれる世界
 私たちはそんな世界を作れるのです!」

【ブレーキ音】のところであなたは全力でブレーキを踏み
急停止をしています
しかしあなたはそれに気が付きません
あなたの中の「知ったかぶり癖」「教えたがり癖」が
【ブレーキ音】を聞こえなくしています

なぜあなたの中に強固な知ったかぶり癖教えたがり癖があるのかというと
まず学校が原因です
すべての先生教師は知ったかぶり教えたがりの権化です
そしてすべての書籍すべてのメディアも原因です
それらは知ったかぶり癖教えたがり癖から生まれた物です

やがてあなたの特別めいた体験を聞いて
感動してくれる人
「救われた」と言ってくれる人
泣き出す人がたくさん現れます
あなたはいよいよ
「自分は良いことをしている」と勘違いします

もちろん自分の体験を話すことは悪いことではありません
でもあなたが見たのは単なるビジョンです
中身はスカスカの夢想でしかないですよね
そんな貧相なものをまるですごいお宝のように
人に得意げに自信たっぷりに語ってどうするんだ
ということです


そこで全力でブレーキを踏みこんでいて
ブレーキ音が恐ろしいほど響き渡っているのに
あなた自身にはそれが聞こえていない
それが本当に残念です

神秘的な体験とかスピリチュアルな体験
それがダメなのではありません

どんな体験や知識であろうと
あなたがそれをドヤ顔でみんなにひけらかしている時は
あなたは全力でブレーキを踏んでいる
そういう話です
そして結局あなたの貴重な体験は台無しになります

人を助けるということ

泥沼にはまっている人がいます
どうしたら抜け出せるかわからないようです
あなたは親切心で義侠心でヒーロー精神で
隣人愛で優しさでリーダーシップで
その人を助けようとします

そして気が付けばあなたも泥沼の真ん中で悲惨な状態になっています

人を呪わば穴二つといいますが
実は人を助けるのも穴二つです
自ら悲惨な状況にはまり二人で身動きできなくなります

もう少し上手な助け方があります
自分は泥沼に入らず
「落ち着いて そこは足が付きます
 ゆっくりとこちらに歩いてきてください」

しかしこれもあなたの足がそこで止まってしまう
そこに野次馬も集まってきて
みんながバラバラに口を出す手を出す
新たに泥沼にはまる人まで続出する
実は人に教えるのも穴二つです

後ろから来て横にならんだ人が
あなたに声を掛けます
「ありがとう おかげで助かりました」
「なんのことでしょう?」
「泥沼にはまって 途方に暮れていたんだ
 するとスタスタ進んでいくあなたの背中が見えた
 そうか あっちに進めばいいんだ
 私はそう気が付いた
 それで泥沼から抜け出せたんだ
 あなたは何も気が付いていなかったけど
 礼を言わせてくれ」

あなたはさっぱり状況がわからないので
言われたお礼などすぐ忘れてしまいます
だってあなたは恐ろしい速さで前進しています
それどころではありません

そこで何を言うのか

ある選手がオリンピックで金を獲りました
あなたはそれを凄い事だと思いますか?
表彰式後のインタビューで
その選手は暴言を連発します
他の選手をカス呼ばわりし
審判の判定への不満をぶちまけ
同僚やコーチ、サポートメンバーまでこきおろし
さらにルール変更から大会の運営、観客の応援にまで
言いたい放題、好き勝手に暴言を撒き散らす

どうです?金メダル受賞が台無しですよね?

ある人が被災地に100万円を寄付しました
あなたはそれを素晴らしいと思いますか?
その人はブログSNSで自分の寄付行為を宣伝しまくり
さらにわざわざ被災地に赴き
「みなさんの為に私は100万円寄付しました!!」

どうです?100万円寄付が台無しですね

金メダルも一流大学入学も議員選挙当選も
国家資格も長者番付もノーベル賞も勲章も
はっきり言うと別にたいしたことではありません

それを成し遂げたあと
誰かがあなたにたずねます
「今どんなお気持ちですか?」
ここであなたが何と答えるか
それが大事なんです
勲章やメダルそのものよりこれが100倍重要です

天狗になって威張るのは論外ですが
あくまで謙虚にただ周囲の人々への感謝を述べる
そんな態度も
それを「正解」と信じて行っているなら
あまり差はないかもしれません

では何と答えればいいのかというと
それは私にもわかりません
正解なんてあるわけないのですから

私たちがすごい速さで前進してるということが
ポイントなのかもしれません
つまり
自分が飛び越えたクレバスがあったらしく
それはもうとっくに10キロ?20キロ?後ろの出来事なんだけど
今誰かがそれを「見事な飛び越えでしたね」と褒めてくれた
そんな状況です
あなたならなんと返事しますか?

「苦しかったけど皆さんの応援が力になりました」
「家族を幸せにしたいという想いでがんばりました」
とかの良さげなコメントでお茶をにごしていませんか?
それって結局急ブレーキで停止して
わざわざクレバスの場所まで引き返していますよね

あなたがそこで足を止めると
いろんな人が集まってきます
あなたを嫌う人 憎む人 敵対する人
妬む人 軽蔑する人 妨害する人
そして厄介なのが
あなを称賛する人
あなたに憧れる人
あなたに教えを乞う人
あなたに助けてもらおうとする人

あなたはあっという間に身動きできなくなる

褒められることが嬉しいのはわかりますが
そこでひっかかると動けなくなります
ひっかからずにスルッとかわししょう

毎日5分この体操を続けてください

肩こりを予防する体操
目の疲れを取る体操
腰痛に効くエクササイズ
お腹を引き締めるトレーニン
美脚になるストレッチ

毎日毎日あなたがやるべき体操が出現し
こう言います
「これを毎日5分続けてください」
テレビ新聞本雑誌ブログで紹介される
新しい体操が月に数百ありますから
それだけであなたには寝る時間がありません

出演するタレントたちが真剣に始めているのを見て
あなたも毎日やらなくてはと思う
しかし実際は数週間たてば全く覚えていないですよね
なぜなら新しい体操が次々に紹介されるから


人間の体の構造なんて1万年前から大して変わっていません
もし本当にあなたに「毎日必ずするべき体操」があるとしたなら
それだけは絶対に続けるべきド定番の体操が本当にあるのなら
あなたはそれをとっくに知っているはずです
両親が子供のあなたに教えたはずです
幼稚園小学校で全く同じものを教えてくれたはずです
あなたの周囲の人々も歯を磨く髪をとかすと
同じくらいの感覚であたりまえにやっているはずです

「体操」に絞って世の中の情報を観察すると
どれだけ「知ったかぶり」「教えたがり」たちが
幅をきかせているかが良くわかります