Multi-Crossing-View 世界の見方を変える6つのステップ

マルチクロッシングビュー 生き方が変わる時間の見方

肩の力を抜くこと

本当に必要なことは教えられないし教わることができません
これを「肩の力を抜くこと」で説明します

肩に必要以上の力が入っている状態は
疲れや病気にもつながります

しかし「肩の力を抜こう」とかんばるのは逆効果です

「肩に力が入りすぎていないか?」
「もっと肩の力を抜かなくては」と
肩の力を抜こう肩の力を抜こうと
四六時中頭をいっぱいにしている人がいます
その姿勢こそが「肩に力を入れすぎ」なんです

本当に「肩に余計な力を全く入れていない人」は
自分の肩の力を抜こうなんて考えません
そんな事が必要だと思いつきもしません
ましてや
「肩の力を抜きなさい」と誰かに教えたりしません
「肩の力を抜きなさい」と本やブログを書きません
テレビや演台で訴えたりしません

それは悪いことでも間違ったことでもありません
しかし本当にその人の肩の力が抜けているなら
そんな事をしようと思いつかないのです
「してはいけない」「すべきではない」ではありません
「思いつきもしない」のです

今日も誰かが本やブログやテレビで
「肩の力を抜く体操」
「肩の力が抜ける姿勢」
「肩の力を抜いた生き方」を
あなたに教えようとするでしょう
それは逆にあなたにとって肩の余計な力みになります

それらの助言を拒否拒絶する必要もありません
ただ素直に聞いて
すぐ忘れましょう

がんばらないとは

5kg の荷物
「よっしゃぁ!もちあげるぜ!!」
あなたは自分の全身の筋肉へ過剰な力を準備させます
50kgを持ち上げるときのように
これが「がんばる」 です
仕事が終わった後も
全身の筋肉の異常緊張は残り続け
それは肩こり筋肉痛だるさ疲労感となり
累積した異常緊張が肉体または精神を病気にします

儀式とかイベントなどが
あなたを必要以上にがんばらせています
「さあ今は特別な時間だ」
「この人は私にとって特別な人だ」
「これは私の人生の転機だ」
あなたは人間や物や時間に巨大なレッテルを貼り
歯を食いしばって必死にがんばりはじめます

そして一番厄介でややこしいのが
「がんばらないようにする」というがんばり
「リラックスしよう」というがんばり
「肩の力を抜いて暮らしていこう」というがんばり
「自分の思うままに自由に生きよう」 というがんばりです
これらのがんばりは特に
絶対に良いことのはずだという信念のもとに
ついついやってしまいます
だらだら長引きます
しつこくしぶとく本当にしつこくしぶとく残り続けます

さらにこれらのがんばりはどうしても
人に勧めたくなります
人に教えたくなります
それは強力で拒みにくい魅力的な誘惑です
だってどう考えてもそれは良いことのはずだし
間違いなくその人の為にもなりそうです
だからここが一番間違えやすいのです

私が何度も
「このブログは流し読み程度に」 と
書く理由がここにあります
こんなブログを読むのにがんばらないでください
こんなブログの内容をがんばって覚えないでください

自分が超高速で前進中であることに気付けば隣の事など気にならない

「立ち止まり振り返ってしまった先生たち」
のところで
私たちは坂を滑り落ちるビー玉だと書きましたが
もっと疾走感スピード感があるイメージのほうが
真実に近いかもしれません

アルプスの数百倍の高さの頂上から
垂直に近いむちゃくちゃな急斜面を
スキーかマウンテンバイクで数十億人が一気に降りていく

当然あなたは前しか見ていません
見えるのは遙か前方を疾走するいくつかの背中だけ

すぐ隣や背後にも誰かがいるかもしれません
しかしあなたにはそっちに視線を動かす暇がありません

「前のあの人についていこう」とか
「前のあいつがじゃまだ」とか
「横の奴には負けたくない」とか
「この人と一緒に行きたい」とか
「後ろの人のためにリードしてあげよう」とか
「後ろの人に道を譲ってあげよう」とか
そういう考えはあなたの頭に
一欠片さえも浮かびません
浮かべてる暇がありません
そんな圧倒的な疾走感スピード感を想像してください

すぐ隣にいた人の言葉の切れ端が
奇跡的にあなたの耳に届きます
「・・・・ん?・・・何それ?・・・・私への悪口???」
もうそれを言った本人は数百メートルの彼方です
あなたには腹を立てる暇もない

「人の言う事に腹を立ててはいけない」
ではありません
そもそも「腹を立てる」ができないんです

ガツンとあなたの全身に衝撃が走ります
なにか障害物があったようです
あなたには邪魔物に戸惑う暇も
邪魔物を怒ったり憎んだりする暇もありません
だってそれはとっくに数百メートル後ろです

「自分の境遇に不満を持つな」でも
「困難を逆に楽しむくらいの心境で
 障害なんか気持ちで乗り越えなさい」
でもありません

そもそもその境遇とか障害ってどれの事?
3キロ後ろのやつ?10キロ後ろのやつですか??
そういう話です
そんな昔の事を思い出してる暇もあなたにはありません

登山道の看板

「頂上まで6km がんばりましょう」
「頂上まであと1km もうすこしです」
「頂上です おめでとう」
いくつもの看板に応援され頂上についたあなたは
達成感に包まれます

でもそれでいいのですか?

途中の景色や草花なんかろくに見てませんでしたよね?
鳥の声や爽やかな風を楽しむことも無く
ひたすら頂上へ頂上へ頂上へと急ぐ

頂上が目指すべきゴールだと
そこまでの登山道は必死に乗り越えるべき苦行だと
誰かに勝手に決められてしまったせいです

学校がそうでした
あなたが普通に走っていた道は
先生たちによってマラソンコースと名付けられました
あなたが目指さなければならないゴールが
勝手に決められました

「この連休はテーマパークで絶対決まり
 いままでにない衝撃体験が待っています」
「老舗ホテルの特別宿泊プラン
 あなたに最高の癒やしの時間を」
今日もあなたはテレビや雑誌やネットに誘導され
電車を何度も乗り換えて
渋滞の道路を何時間も車で走り
特別なごほうびをもらうために
辛い苦行をくぐりぬけようとしています

確かに達成感は味わえるでしょう
決められた「やるべきこと」を
終わらせたのですから

でも本当にそれでいいのですか?

誰かが勝手に「特別な場所」を決めた時に
同時にその100倍の「そこへ至る厳しい道のり」が生まれます

誰かが勝手に「特別な時間」を決めた時に
同時にその100倍の「耐え忍ぶべき時間」が生まれます

こんなバカバカしいことにいつまでも付き合って
疲れきらないでください

今自分が動いている方向

あなたは目に入る家とか壁とか道路とかを頼りに
自分が今いる位置を判断しています
それらが動いていなければ
自分は止まっていると思う

でもそれは間違いですよね
地球はものすごい早さで回転しているし
太陽の回りをすごい速度で周回しているし
その太陽だって銀河系という大きな渦巻きの端っこだし

つまりあなたは自分がどっちに動いているかさえ
鈍すぎてぜんぜん感じることができません
わずかに目から入る情報だけを頼りに
「自分は動いていない」とか思っています

それでもあなたは時間の経過を観察できます
それはあなたが時間軸上を
地球の自転や公転など比較にならないぐらいの速度で
突進しているからです
あなたは時間軸上を勢いがつきすぎて止まることもできず
ひたすら前へ前へと突き進んでるわけです

だから自分の位置把握に恐ろしいまでに鈍感なあなたでも
「時間の経過」だけははっきり感じられるのです

何度もいいますが
縦横高さと時間以外にも
7つ以上の移動軸があります

その7方向に関しても
あなたは脅威的な速度で移動中です
しかしこれも鈍すぎるあなたに
全くピンとこないでしょう
「いったいどっちに動いてんだ???」という話です

あなたの周囲にいる人たちの
言葉、表情、感情、感性、価値観あたりに
自分がどっちに進んでいるか
それに関する一つのヒントがあります

例えばあなたの前に
「世間への不満をまき散らす人」がいたとします
あなたはその人に共感する?理解できる?
同情する?哀れむ?軽蔑する?嫌う?不快に思う?
みたいな事です

その人はいわば
あなたのすぐ横を走る
すごく長い超高速列車みたいな存在です

車両が光のドップラー効果で赤く見えれば
その車両はあなたから遠ざかっています
逆に車両が青ければあなたに近づいています
どっちでもなければ
列車はあなたと同じ方向同じ早さで動いています

あなたが周囲の人間を見てどう感じるかで
あなたが今進んでいる方向がわかります

断捨離という勘違い

断捨離にとりつかれてしまう人がいます

不要な物をすべて処分すれば
心は自由になり晴れやかになり
生き方はシンプルになり
やるべきことが明確になり
より豊かで充実した人生になる

そう信じてとにかく捨てまくる売りまくる
そして私物だけでは足りなくて
夫や子供が買った物まで無断で処分する


途中までは良いんです
「自分はたくさんの物に埋まって生きていた!
  これらの物など全部無くてもいいんだ!!」
そう気がついたところまでは素晴らしい

でもそこから寸暇を惜しみ「あれも捨てる」「これも捨てる」
「捨てる」「捨てる」「捨てる」「捨てる」「捨てる」・・・・・・・・
それは逆に「物」に支配されている生き方でしかありません

物に執着しないとは
あってもなくても気にしない気にならないこと

あなたを幸福にするのは「物」ではありません
つまり
「物を溜め込むこと」とも
「物を捨てること」 とも
まったく関係がありません

階段を昇って幸せになる?

「幸せつかみごっこ」をやってみましょう

階段の一番上に「幸福」
一番下に「何も無い不幸な自分」と書いた紙を貼ります
たくさんの空き缶に
「お金」「恋人」「結婚」「家族」「マイホーム」「就職」「出世」「起業」
「レジャー」「旅行」「友人」「余暇」「趣味」 などを書き
階段の途中に置きます

階段の下からすべての缶を拾い
落とさないように抱えながら昇っていきます
一番上にたどり着ければ おめでとう ゴールです

もちろんこれは ごっこ遊び です
階段を昇っても幸福にはなれません

この階段を昇るという斜め上への移動方向を変えて
過去から未来への時間方向の移動にしてみます

あれ?これってあなたが毎日がんばってる事
そのものですよね??

たくさんの大切な物を落とさないように必死で抱えて
歯を食いしばりながら階段を登り続けても
それは「幸せになる方法」ではありません
それは誰でもわかりますよね

階段を昇るのは自由だし
昇りたければ昇ればいいだけなのですが
「これをやりとげて俺は幸福になってやる」 と
必死の形相で頑張り続けることには意味がありません
だってそれは階段を昇っているだけですから

しかし時間の進行方向に置き換えただけで
それはごっこではなく おそろしく深刻でマジなものになります
「絶対に達成すべき最終目標」になってしまいます
「人生の最終目的」になってしまいます
「この世に生まれてきた意味」になってしまいます
「死ぬまでにやり遂げたいこと」になってしまいます
「すべてを犠牲にする唯一の生きがい」になってしまいます

違います
「前に進む」「階段を昇る」 と同じように
「未来に進む」 があるだけです

あなたは自分で勝手に一番上に
「幸福」「目標」「ゴール」という紙を貼って
持ちきれないほどの物を集めて抱えて よたよたと昇っている
それ本当に意味がありません

正解を教えたがる人々

たった一つのゴールと
そこへ至るたった一つのルート
それらを信じる人間は
それを他の人に教える事が自分の義務だと考えます

思い切りざっくり言ってしまえば
程度の差こそあれ
全ての本 全てのブログ すべてのメディア は
そんな人によってそんな目的で書かれ発表されます

「他人の価値観に縛られず
 自分の生き方を探しなさい」
と書いてある本もありますね
でもそれこそが矛盾に満ちているんです

「リラックスしろ」と怒鳴るコーチと同じです

「人に優しくすること」を命令し強制する先生と同じです

「うるさい!周りに迷惑だ」と大声で怒鳴る人と同じです

本当に「価値観は人それぞれだ」と思っている人なら
「生き方」 に関する本なんかを絶対に書きません

「他人の価値観に縛られず
 自分の生き方を探しなさい」
なぜそんな事をわざわざ本に書いてテレビに出てブログに書いて
人々に訴えようとするのでしょう
それは絶望的に逆説的です
それは壊滅的にチグハグです
全く意味が無いどころか
有害といえるかもしれません

残念な事にこれは
一部の書籍
一部のマスメディア
一部のブログ記事に当てはまる事ではありません
全部です
全部がそうです

あなたがしがみついているもの

「うちの庭が見頃になりました」
金持ちのAさんはそう聞いて知人の家を訪ねます
庭木の美しい紅葉 地を覆う色とりどりの落ち葉
集まった来客たちはその庭を褒めそやします
Aさんは嫉妬心がメラメラ

半年後Aさんは自宅でパーティーを計画
そのために庭を大改造
紅葉した樹木と大量の落ち葉を海外に発注し緊急輸入
春だった庭を力業で秋にしてしまう

 

さて、このAさんの事をあなたは笑えますか?
Aさんと同じ事をしていませんか?

ある食べ物を気に入って毎日食べようとしたり
何かの健康法美容法にはまったり

何かのコツや秘訣を誰かに仰々しく教えたり
人生訓とか成功の経験を得意そうに語ったり

正しい子育て論とか正しい蓄財法とか
正しい勉強法とか正しい倫理観とか
正しい恋愛とか正しい結婚とか
正しい人生計画とか正しい家族関係とか
正しい社会貢献とか正しい自立とか

ある時に自分が正しいと思った物に
必死でしがみついています
放さない放したくない放すものか
絶対に放さない

あなたはAさんと同じことをしています