Multi-Crossing-View 世界の見方を変える6つのステップ

マルチクロッシングビュー 生き方が変わる時間の見方

何を見るか

あなたは“たまたま”頭が痛くなります
その時“たまたま”居合わせた知人が
“幸運にも”鎮痛剤を持っていて
“幸運にも”あなたにそれをくれた
その鎮痛剤を飲むと痛みが嘘のようになくなりました

あなたはその鎮痛剤の名前をしっかり覚えて
薬屋に行って買いだめしようとします

違います
肝心なところはそこではありません

はっきり言って
鎮痛剤を買いだめしたことで
これから何度も何度も頭痛で苦しむ
あなたはそんな未来を自分で確定させたんです

あなたを救ってくれるのは
あなたを導いてくれるのは
そんな「鎮痛剤の名前」ではなく
“たまたま”とか“幸運にも”の部分です
おそらくそこに
「なぜ自分の頭が痛くなったのか」とか
さらには「頭痛は自分にとって悪いものなのか」
「そもそも頭痛とは何か」
いろんな答がいっぱい隠れていたと思います

それなのにあなたの頭は
鎮痛剤の名前を覚えるのだけに必死です

見当外れな原因と結果を勝手に作ることは
たくさんの可能性をどぶに捨てることになります

医者や本が告げる「病名」で自分を縛り付け
自分が病気になった「原因」と
これから全力で続けなければならない「治療法」で
頭の中をいっぱいにしてしまう
あなたがしているのはそんな事ばかりです
何度も言います
それは絶望的に見当外れをしています

「恋愛」とか「結婚」とか「仕事」とか
「子育て」とか「家族」なんてレッテルも
ついつい自分を縛り付けがちです
そこから派生する膨大な量の
「こうしてはいけない」と
「こうするべき」によって
あっという間に身動きできなくなります

学校について

あなたは走っています
風は気持ちがいいし小鳥の声も聞こえます
あなたはとても楽しく走っています
前に大きな木が見えたので
あなたはその木陰で休もうとします

しかしあなたがいる“がっこう”という世界では
そこで“せんせい”という謎の大人がやってきます
「だめです こんなところで止まってはいけません
 あなたが目指すゴールはまだ先です
 あきらめないで 頑張りましょう」

あなたは訳がわからないいまま走り続け
息もたえだえにゴールといわれた場所にたどり着きます
“せんせい”はあなたを褒めてくれます
「えらいですね よくあきらめませんでした
 困難をのりこえて 今あなたは成長しました
 これからぶつかる困難も頑張って乗り越えてください
 あなたならできます」

“せんせい”の言うことはまったく意味不明です
これから私が困難にぶつかるとか
そんな勝手な予言はどこからでてくるのでしょう?
辛い勉強をしてテストとか受験とかを乗り越えろ?
勉強って辛く苦しいものなの?
それで私が成長できる?成長ってどういうこと?


教育に関する問題点は 詰め込まれる生きるのに無用な知識
受験戦争 いじめ 学級崩壊 落ちこぼれ 登校拒否
いろいろありますが
いつの間にか自分がレースに参加していることにされ
「あなたはライバルたちに遅れないように
 頑張らなければならない選手です」
そう勝手に決められたことがそもそもの始まりです

しかしあなたは
「学校なんか必要ない!」とか
「今の教育制度は間違っている!!」とか
力んで反発する必要はありません

教育とか政治とか行政とかは所詮はシステムです
システムとはつまり 膨大な数のレッテルの集合体です
レッテルの塊と戦おうとしても意味はありません

あなたは楽しんで走っていました
そこへ誰かに「そのままずっと走り続けろ」と命令される
せっかく楽しんで走っていたのに
その命令に反発して走るのをやめるというのは損だし
逆に命令に縛られています

自分が走っている先に
たまたまレッテルでできた大きなハリボテがあった
つまりはそれだけの話です

完全な自由

私たちは自分で考えているよりも
はるかにずっと恐ろしいほど自由だったりします

それは近未来の最新型宇宙服を着て
宇宙空間に浮かんでいるような状態です
あなたの全身には数百個の超小型推進装置がついていて
すべてあなたの視線とフルオートで連動しています

「あそこに土星が……」
もうあなたは土星方向に超高速で飛んでいます
「あれは木星かな」
あなたは木星めがけて突進しています
ただし土星木星も遠いので
あなたは自分が超高速で移動していると実感できません

どうしても不幸から抜け出せない人がいます
貧乏から抜け出そうと毎日必死に頑張る
でもそれこそが理由なんです
「お金が欲しい」「お金が欲しい」
「貧乏はいやだ」「貧乏はいやだ」
貧乏の事しか見ていないのですから
その人は貧乏方向にまっすぐ突き進んでいます

家族の問題で苦しむ人がいます
「あの家族さえいなければ」
「あの家族さえいなければ」
その家族はもっと深刻なトラブルを起こします

「視線と進行方向は連動している」
不幸な人が自分で不幸を呼び寄せているように見えるのは
結局これなんです

進みたい方向を見ればいいだけなんですが
「物事の良い方だけを見る」は違います
だってそれは
悪い方があってそっちを強く意識していて
「そっちは見ちゃダメだそっちは見ちゃダメだ」でしょ
当然あなたが向かうのはその悪いほうです

「素晴らしい理想を思い描く」も違います
そこには強く意識している抜け出したい現実がありますよね
当然あなたが向かうのはそっちです

そうじゃなくて あなたはただ ただ自由なんです

ギアはニュートラルに

苦しくなるほど食べ過ぎたり
必要のない無駄な買い物を大量にしたことはないですか?
それは前回の食事や買い物をした時に
キアがニュートラルに戻っていなかったことが原因です

マニュアルの自動車にあるようなギアが心の中にあると想像してください
ギアを「歩く」に入れる あなたは歩き出します 
ギアから手を離せば ギアは勝手にニュートラル(何もしていない状態)に戻ります

力まかせにギアを操作すると
ギアはニュートラルに戻りにくくなります
「食べる」がニュートラルに戻っていない原因は
2種類あって 1つは執着心
「これすごく美味しい もっと食べたいもっと食べたい」
「これ絶対健康にいい痩せられる毎日食べなくちゃ」
もう1つは否定拒絶
「ダイエット中だから絶対これ食べてはダメ」
「お金がない時間がない食べるのは無理だ」
あなたがそこで力を入れすぎたために
ギアが「食べる」に入りっぱなしになったんです

体の不調も不安とかストレス
何かがすごく嫌いとか憎いとか
すごく怖いとか気持ち悪いとか
そういうのは
どこかに戻っていないギアがあるだけです

吐き気がするほど許せない人がいる
誰かを殺したいほどイライラする
逆に
視界がゆがむほど欲しい物がある
その人のすべてを知っていないと気が狂いそうになる

それはあなたの中で戻っていないギアが
どんどん増えている状態です
たくさんのギアが戻っていないことを
あなたがまったく自覚していない事が最大の問題です

いくつかのギアがまとめてニュートラルに戻りさえすれば
もう自分が何に悩んでいたかさえ
わからなくなります

ギアをニュートラルに戻す方法は「手を離す」これだけです
でもそれを無理矢理しようとする人無理矢理させようとする人がたくさんいます
力まかせに操作したから戻らなくなったギアなのに
ニュートラルに戻そうとさらにそこに力をこめようというのですから
かなり間抜けな話です

スポーツの大会 青ざめるほど緊張している選手がいます
その前で仁王立ちしたコーチが怒鳴ります
「この馬鹿 なにやってんだ リラックスしろ 力を抜け!」

ひどいコーチですね
でも程度の差とか 直接的か間接的かとか
優しいやり方とか 辛抱強いやり方 とか 方法には色々違いがあっても
たくさんの人がこのコーチと同じ事をしています

どうやってギアをニュートラルに戻すか
それを教えようとするたくさんの本たくさんの授業たくさんのビデオ
医者政治家教師評論家研究家芸能人スポーツ選手たくさんの偉い方たちが
これを飲めこれを食べろこれをやれこれを見ろこれを読め
この道具を使えこれを買えここに行けここに住め

そういうのは全部忘れていいです
あなたの事を心配してくれて
一生懸命に解決法を考えてくれる
たくさんの親切な先生たちに頼らないでください
それは落とし穴なんです
先生たちに悪意はありませんが
残念なことにすべて見当違いの自己満足です

パッ カコン はいニュートラルに戻りました

マルチクロッシングビュー

2人の人間が道でぶつかる
1人は駅へ急いでいました
1人は偶然見かけた知人に声をかけようとしていました

ぶつかったのですから2人のいる場所は同じです
しかし2人の見ていた方向も進んでいた方向も全く違っていました

2秒前の世界 1秒前の世界 今 1秒後の世界 2秒後の世界 ………………
この世界をこんなふうに
まるで数珠つなぎみたいな
一本道としてみるのが間違いです
たくさんの過去と未来の線が
今ここで交差しています

「生きるのが楽しい」という人がいます
「この世界はクズしかいない 死にたい」という人がいます
「夢は必ずかなう」という人がいます
「希望なんか持つのは愚かだ」という人がいます

もちろんどちらも正しいのです
それぞれ見ている方向進んでいる方向が違うだけです

マルチクロッシングビューに慣れていないと
目の前にいる2人が異なる方向に進んでいるということが
分かりづらいかもしれません

断面が人間の形をしたとても長い棒が2本
あなたの目の前で交差しているとします
1本は北から南へ高速で動いています
1本は東から西へ高速で動いています
棒はとても長くまっすぐなので
あなたにはどちらの棒も止まってるように見えます

あなたが見るのは目の前にある2本の棒の断面です
そこには一緒に並んでいる2人の人間がいます

あなたは不思議に思う
「彼らは同じ場所にいるのに
 考えることがなぜあんなにも違うのだろう?」
これが答えです

そしてあなたが進む方向も
自由に選ぶことができるのです

補講2 トイレの中で考えましょう

すみませんがかなり尾籠な話になります
排便のやり方についての話をします

非常にすばらしいことに
トイレの中には「知ったかぶり」も「教えたがり」もいません
これはなかなかレアな状況です

両親があなたをおまるに座らせ
「しーしーよ しーしー そうそう つぎはうんうん
 はい よくできました」
ぐらいはあったでしょう

でも状況と状態に応じた具体的で詳細な排便の方法は
すべてあなた自身が発見し習得してきたはずです

トイレに行きべきタイミングとか
力む強さと持続時間とか

1発目が完了した段階でこのままトイレを出るか
あるいは2発目までねばるかの判断なんてどうですか
肛門、括約筋から感じるニュアンス
排泄物が直腸へ移動する感覚
そんな多くの情報からあなたは総合的に判断しています

その判断の方法を誰も教えてくれませんでした
どんな本にも書いてありませんでした
そもそも言語化文字化ができません
あなたの体の中からの微妙な感覚がすべてです

これは「排便」だけではなく
食べる・歩く・寝る でも本来は同じはずなのですが
「これを食べなさい」
「正しい歩き方」
「究極の快眠とは」
みたいな本やテレビ番組やブログが氾濫し情報があふれまくっているので
ついつい影響をうけがちです

スーパーで買い物していたあなたは
ふと目に入ったブロッコリーが食べたくなる
でもそこであなたは考えてしまう
「私の体が葉酸やミネラルを欲しがっているようだ」
あららまた余計なレッテルを貼ってしまいましたね
「決めた、これから毎日ブロッコリーを食べるぞ」
そして人にも教えるのでしょう
「ねえ君、毎日ブロッコリーを食べるといいよ」
ほらね知ったかぶりの教えたがり病がまたでてきた

トイレで快便だったとしても
「昨日食物繊維をたくさん摂ったのが良かった」とか
「朝の運動が効果的だった」とか
すぐ見栄えの良い原因にとびつきたがる
そしてそういう見栄えの良い原因なら
人に教えることができます
得意げに上から目線で恩着せがましく
誰かに教えてあげられるわけです

とにかく邪魔なのは「知ったかぶり」「教えたがり」
そして「レッテル貼り」です

自分のイライラの鎮め方
絶望感からの脱出法
相手の気持ちのくみ取り方
怒り狂う人間への対処
幼い子供とのつきあい方
その他仕事だろうが恋愛だろうが
あなたが直面するすべての状況において
答は本の中にもネットにも絶対にありません
では答はどこにあるかというと
邪魔な大量のレッテルをポンポンポンとすべて消してみると
答が自分の中にとっくにあったり
あるいはあなたが対応に苦慮していた当の相手の
言葉の中にあったり
そんな感じでしょうか実際のところは

トイレの中でもう一度考えてみましょう
本当に必要な事を
あなたが誰かに教えることはできません
あなたが誰にも教わらなかったように
本当に必要な救いを
あなたが不幸な誰かに与えることはできません
あなたが誰からもそれを与えられなかったように

補講 レッテルを貼らないこと

誰も彼もが人にレッテルを貼ることに夢中です

「この人は理想主義者だ」
「この人は皮肉屋だ」
「権利論者」「嫉み屋」「嘘つき」「悪党」
レッテルを貼ればその人のすべてが明白になります
その人がこれから何を言うかもすべて予想できます

貼るレッテルの種類が極端に少ない人がいます
「自分に役に立つ人間」「役に立たない人間」たったこの2種類だったり
すべての異性を「美形」「美形以外」だけで分ける人もいます

そんな極端な分類をしていると他人からバレバレですので
馬鹿にされたり軽蔑されることになります

しかし何千何万何百万という種類のレッテルを常備していて
初対面の相手にも適切なレッテルをスパスパ貼っていく
そんなことができる人間は賞賛を集め尊敬されます

レッテルは人間だけではなくあらゆる物に貼られます
時間にもたくさんのレッテルがペタペタ貼られます
「今日の運勢」とか
「今日は○○の記念日です」とか
今日は今日でしかなく
今は今でしかないのに

子供は学校に通い
レッテルの種類をたくさん勉強し
レッテルの上手な貼り方を習います

いつでも迷わず適切な診断をくだせる医師
どんな相談者の悩みも解決する弁護士、カウンセラー、宗教家
今この国に一番必要な事を次々指摘できる政治家、評論家
誰もがその人たちに頼ろうとします
「あの人こそ私たちのリーダーだ」
「あの人に任せておけば間違いない」
でもそのリーダーがしている事はただのレッテル貼りです
レッテル貼りがとても上手なだけです
それ以上でもそれ以下でもありません

「私は困ってる人を助けたい」
「私の知識をみんなに教えたい」
そんな事を言う人間はすべてレッテル教の信者です
レッテル教の信者は自分がレッテルを貼ることで
問題が解決すると
不幸な人を助けることができると
この世界がより良いものになると
本気で信じています

中には少しだけましなレッテル貼りもあります
生徒一人一人と向き合おうとする先生がいます
ありのままを伝えようとするジャーナリストがいます
問題提起だけで安易に結論を出さない専門家がいます
でも彼らだって最後にはレッテルを貼ります
レッテルを貼ることが彼らの仕事です

レッテルは毒でも薬でもありません
あなたを幸福にはしませんが不幸にもしません
レッテルはあなたを傷つけません苦しみも与えません
レッテルを貼りまくる人もあなたの敵ではありません
ことによると「レッテルには何の意味も無い」
そのことを逆説的に
あなたに教えようとしているのかもしれません

だからレッテルを恐れる必要はありません
レッテルを憎む必要もありません

あなたの視界をふさごうとする大量のレッテルは
ただあなたが「じゃまだな」と思うだけで
もう消えてしまいます

過去から現在まで多くの人間たちが
どこにでもめちゃくちゃに貼りまくったレッテル
そしてあなたが自分自身で貼った大量のレッテル
すべてのレッテルがきれいに無くなれば
そこにまったく新しい世界が見えます

補足2

3次元生物が2次元生物をつまみ上げる
別な2次元生物がそれを見て
仲間が突然消えたと驚く

よくある多次元の例え話ですが
これは正しくありません

あなたの周りにある物で
タテとヨコの厚みはあるけれど
高さが完全にゼロである物などないですよね
同様に存続する時間が完全にゼロの物もありません
それだと「存在していない」ことになります

この世界に11次元あるとしたなら
すべての存在に11種類の次元の広がりがあります
そうでないと存在できません

 

人はある限られた次元だけにこだわりすぎると
それ以外の次元がその人の目に入らなくなります

例えば
地図という2次元の媒体にとらわれてしまい
目的の店がさっぱり見つからない事ってありますね

でもひょいと上を見上げると
ビルの3階がその店だったり
あるいは地下に降りる階段があったりします

タテとヨコだけという限界を自分で勝手につくり
ぐるぐる同じ所で迷っていただけ
だから
ひょいと視線を上げて
「なんだそっちか」

 

別次元への移動とか
多次元の認識とかいうと
なんだかすごく特別で大変なことのように聞こえます

あなたも世界のすべての物も
あたりまえに11方向の次元のひろがりを持っています

あなたは今前を見ています
では次に左右を見てみましょう
では次に上下を見てみましょう
・・・何もすごい事は起きませんね

タテとヨコと高さ
3つの異なる次元の間を
今あなたの視点がコロコロと移動しました
しかし
突然何かが出現したりしません
突然何かが消滅したりしません
異空間や次元の裂け目が現れたりしません

あなたが自分の周りをぐるりと見渡す時
こっちはこの3次元空間における縦の方向で
こっちはこの3次元空間における横の方向で
こっちはこの3次元空間における高さの方向だとか
そんなことは考えません
ただ周囲の様子があなたの目に映るだけです

この世界の次元の数が20以上あるのか
10の20乗くらいあるのかわかりませんが
それらはすべてあたりまえに
あなたの目に映っています

動きが少なく時間が止まったかのような風景を
あなたが見ている時
実際は時間は止まっていません
雲とか虫とかをじっくり観察すれば動いているのがわかる
その情報はしっかりあなたの目に届いている
あなたの意識がその情報を無視しているだけです

時間の経過は視覚で捕らえられます
その逆向きの方向もあるのはわかります
同様に数え切れない数の次元の広がりだって
普通にあなたの目に映っています
ただあなたの意識がそれを認めていないだけです

だからただ
「なんだそっちか」
でいいんです
それがマルチクロッシングビューです

補足1

ひも理論では、この世界には11次元以上の次元があるといいます

タテヨコ高さで3次元
それに時間を加えて4次元
そういいたいところですが
私たちは時間の片方向しか認識できてないので
ここは「3次元半」と言った方が適当だと思います

物理学者によれば
私たちに認識できていないあと7つの次元があります

マルチクロッシングビューとは
重なって共存するたくさんの「時間」の流れの認識です
この「時間」という言葉の使い方には少し注意が必要です

「時間」とはあくまでも次元のひろがりの1つですから
「私たちが知ってる時間」と
それを逆から見た「タイムリバースビュー」
この2つがセットで「時間」という1つの次元です

それ以外の私たちの中にあるたくさんの可能性は
「時間」以外の別な名前で呼ぶのが本来は適切です
別の名前とは「多次元宇宙」とかまあそんなやつです

しかしそんな呼び方をした場合
「それらはすべて私たちの認識外だ」で話は終わってしまいます

タイムリバースビューには
私たちが5次元以上の世界を認識するためのトレーニングとしての
意味があります

逆向きの時間の認識は
ことによると難易度は高かったりするかもしれないが
決して不可能ではありません

組み立てるべき材料は
すべて私たちが知っている物です
それを一旦バラバラにして
それを逆さまに組み立てて
全体の構造を把握してその意味を考える
それだけです
そこにどうしても既存の価値観の崩壊が
絡んでくるのでややこしいだけです

この「タイムリバースビュー」が
5次元以上の世界を認識する練習になります

時間の逆方向へ
自分の感覚全体を
ぎゅわーっと伸ばしていく
その感じが
ネイバーフッドワールドという
別次元の世界へ
ひょいっと飛び込む
その感じと
少しシンクロするんです

だから私はあえて
多次元世界に関する表現で
「たくさんの時間の流れ」とか
「多方向の時間の流れ」とか
「時間」という言葉を使って説明しました