Multi-Crossing-View 世界の見方を変える6つのステップ

マルチクロッシングビュー 生き方が変わる時間の見方

「教えること」のいびつさ

あなたはふと思う
「もっとすべての人に感謝して
 謙虚に生きていこう」

いいんじゃないですか?
「すべての人」という対象が観念的で明確でないことと
「謙虚に生きていく」も観念的で具体性に乏しいですが
良いと思います
あなたは良い方向を向いておられます

「よし、これは良いことだ
 みんなにも教えてあげよう」

はぁ??何言ってるの?

「もっとすべての人に感謝して
 謙虚に生きていこう」と思っている人は
「もっとすべての人に感謝して
 謙虚に生きていこう」と人に教えません

「もっとすべての人に感謝して
 謙虚に生きていこう」と
偉そうに人に教える人の
どこが謙虚ですか?

すべてはあなたの
「正しいを事を教えることは良い事だ」
という致命的で絶望的な勘違いが原因です
それがすべてをぶち壊しました

あなたは
「もっとすべての人に感謝して
 謙虚に生きていこう」を思いついて3秒後に
「もっとすべての人に感謝して
 謙虚に生きていこう」をドブに捨てたのです

「教え」はする行為ではなくただの結果

あなたが誰かと話をしていて
こう感じる
「この人の言うことはすごくわかる
 たくさん発見がある
 たくさん気づきがある
 今日この人と話せて本当に良かった」

そして面白いことに
相手も全く同じことを
感じていたりします

これでいいんです
これがいいんです

お互いに
「私が教えてあげよう」と思っていない
邪魔な慢心や虚栄やマウント取りがない
お互いに
「有用なことを教えてもらおう」と思っていない
余計な期待や打算や目論見が全く無い
だからこういう会話が成立します

人と人との関係性は
「影響を与える」「影響を受ける」ではありません
ただそこに相互に働く影響があるだけです
「共感」とは貰うものではありません
ただそこに二人で共有する共感があるだけです

そして何より
あなたの知りたい「正解」なんて
あなた自身の中にしかありません
だから「発見」なんです
だから「気づき」なんです

あなたとその人は
全く足を止めてなかったことがわかりますか
あなたはあなたでむこうへ超高速で前進したまま
その人はその人であっちへ超高速で進んだままです

その状態のままお互いへの良い影響が発生した
ただそれだけです
お互いにとっての「教え」がそこに生まれただけです

難しい話ではありません
「教えよう」とか
「教わろう」とかが
いらないんです
そんな上下関係が
マウント取りが
不要なんです
邪魔なんです
足枷なんです
教えようとするからダメなんです


講演会や本なんてものでも
それがあなたの中にある正解への
「気づき」となり「発見」となり
ヒントとなる事は確かにあります

でもそんなヒントは動いていない不良債権です
とっくに有効期限の切れた薬です
その正体は
教えたがり病にとりつかれた講師が仕掛けた
足を刈る罠です
そいつの頭の良さを証明させるための
やたらと複雑な機構の巨大なトラばさみです
とっくに死んでいるその本の著者が
糞尿のようにまき散らしていった自己顕示欲です
「私がたくさんの人間を教え導く」
「私が世界を変える」
そんな死臭の漂う強迫観念です

そんなヒントをもらうために
あなたはわざわざそこで足を止めなければなりません
そこが決定的に違うのです

「あなたの足を止める本」と「止めない本」が
あるのではありません
程度の差があるだけで
すべての本はあなたの足を止めます
中には
「やさしい語り口で」
「雑談を続けたあとふと思いついたように」
「ふわふわしたポエムの形で」
そうやってあなたの足止めを狙ってきます
あなたの足を止めることが
本というものの役割なのです
本とは「教える」ものですから

まるで自分が神にでもなったような
そんな歪みまくった善意に
捕まらないでください

腕まくりをする教え魔たち

私のブログはすべてブーメランなのですが
今回の2編の内容は特に酷いです
ある意味あなたにも私にも読むに耐えない内容です
どうかご了承ください

 

「教えること」は良いことだと思いますか?

私たちはてんでんばらばらな方向に
超高速で前進中です
そんな状態で
「誰が」「誰に」「何を」教えるというのでしょう

講演会というものを考えてみます

「私はむちゃくちゃ頭がいいから
 集まった全員を満足させる
 すごい話ができるんだぜ」
そんな勘違い講師の話なんて当然
シンプルに小ぎれいに盛り付けされてはいるが
一人よがりの自己満足のこじつけばかりで
都合の悪いところはカットされた矛盾だらけの
カスみたいな内容です

しかしあなたは
講師の仰々しい肩書に感心し
その自信たっぷりな話し方に感銘を受け
その内容を自宅に持ち帰り
額に入れて自分の部屋に飾ります

そんなものあなたの人生にとって
お荷物にしかならないのに
足枷にしかならないのに

あなたはさらに
「今日すばらしい話を聞いた」と
人に話します
SNSに書き込みます

あなた本当に何やってんですか?


聞き手と直接顔を合わせる講演会がそんな感じですから
10年後50年後の
数千数万人の不特定多数の読者へむけて
ただただ一方的に
「私が正しい世界の見方を教えてやる
 みんなこの本を読みなさい」
そうやって書かれる「本」というものは
さらに罪が深い

100年前の偉人が書いた名著?
そんな100年前に処方調剤された薬を
本気で飲む気ですか?

欲しい物は手に入る

私たちには自動制御型の能力があります

目のピント調節がそうです
遠くの物を見れば自然にピントが合うし
近くの物を見ればあたりまえにピントが合います

ではなぜピント能力が弱って近視とかになるのか
それは「よく見よう」としたからです
「よく見よう」はいわばオートフォーカスのカメラのレンズを
力ずくで操作しようとする行為です
そんなことをすればカメラが壊れて当然です
ピント調節をしている眼球の筋肉が
あなたが余計な力を入れ続けたために
異常緊張で動かなくなったんです

「欲しい物が手に入る」も
私たちが持っている自動制御型の能力です
完全自動制御ですから
「欲しい物を手に入れる」能力ではありません
余計な事をしたり
余計な事を考えるのは
全部邪魔です
全部妨害です

それは
「快適な眠り」を手に入れるために
快眠グッズをたくさん揃え
眠るために必要なルーティーンを
決めるのと同じ間違いです
そんな事をやってるから不眠症になるんです

「最高のリラックス」を手に入れるために
本やネットで方法を探し
必死に試行錯誤するのと同じ間違いです
そんな事をやってるからリラックスできないんです

引き寄せの法則」みたいのが最悪です
「引き寄せ」なくていいんです
「引き寄せる」から失敗します

「ピントが合う」は
「ピントを合わせる」ではありません
「欲しい物が手に入る」は
「欲しい物を手に入れる」ではないのです

こういうニュアンスを
ネットでの投稿で不特定多数の読み手に
伝えるのは本当に難しいのですが
あなたにはわかるはずです
伝わるはずです
なぜならあなたにとって
とっくに知っていたことでもあるのですから

何もしなくていいんです
何もしないほうがいいんです
「何かしなくては」は障害にしかなりません
「欲しい物は手に入る」のです
「欲しい物を手に入れる」という発想を忘れましょう
全部邪魔です
全部妨害です
そうではなく
あたりまえに
あるがままに
こんなブログの内容も忘れてください
ただただそのままで

不眠症の解消

私のすべてのブログにいえることですが
「良い知識を得よう」とか
意欲的に前のめりで読まないでください

特にこのブログは
不眠症を解消する役には全く立ちません
はっきり言いますがむしろ逆効果です
あなたが不眠症に悩まれているなら
こんなブログは読まないほうがいいし
読んでもすぐ忘れましょう

「眠る」は無意識の行動です

必要なのは
「眠くなったら寝る」 たったこれだけ

それ以外のありとあらゆる
「眠るためにこれをしなさい」は
すべて邪魔です
すべて妨害です

「これを飲めば眠れます」とか
「究極の安眠枕」とか
「睡眠導入ベッド」とか
温めるアイマスクとか
音楽とかアロマとか

もちろんそれらは全く効果がないわけではありません

脱力する方法の1つに
「まず精一杯力を込める」があります
そのあとに反動として力が抜けるという理屈なのですが
長い目で見れば
これは全然良い方法ではありません

あなたが寝るのに必要なルーティーンを
たくさんたくさん積み上げて
そのすべてをクリアする達成感と疲労感で
眠ろうとするのは一時は効果があっても
長い目で見れば頭の悪い方法です

寝る前になんとなくホットミルクが飲みたくなって
飲んでみたらあっという間に眠れた
それだけでいいんです
「私は寝る前には絶対にホットミルクを飲む!!
 眠るためにはこれが絶対に必要なんだ!!!」
そんな決め事がそんなこだわりが
結局は睡眠の最大の障害になります
 
何も考えず
何もせず
ただ眠るだけでいいのに

こんなブログを読んで
不眠症を解消しようとするのは逆効果です
そう私が言った意味はおわかりいただけますね?
こんなブログを探して読んで
不眠症を攻略する「必勝法」を見つけようとする
その姿勢こそが全く逆効果なんです

睡眠でも
リラックスでも
脱力でも
「こうすべきだ」
「こうしなければならない」
「これが正しい方法だ」
そんなのが全部邪魔です
そんなのが全部妨害してきます

不眠症の元凶を一言で言えば
「眠るための必勝法を
 見つけようとしたこと」です
でも
医者も
専門家も
カウンセラーも
寝具メーカーも
そんなことを絶対に教えてくれません
なぜなら
医者も
専門家も
カウンセラーも
寝具メーカーも
必勝法を教えるのが仕事だからです
彼らは必勝法を教えることで
飯を食うのです

超高速の前進でいろいろなことを納得できる

自分が今超高速で前進しているという自覚は
いくつかの根本的な疑問を解消します

解消するというか
そんな疑問自体がどっかに飛んでいきます

そもそも
人はなぜ生まれたのか
何を目的に生きるべきなのか
そういう話

そんなことは考えられない
「考えなくてもよい」でも
「考えても意味がない」でもなく
考えられない

分かれ道に立って
「どっちに行くべきか?」なんて事は
そこで止まっているから悩める話です

「あれ?別れ道かな」と気づいても
もう一瞬で通り過ぎてしまいます
悩んだり考えたりしてる暇もありません

そして「死」についても

いつ死ぬかわからないのに
なぜ死が怖くないのか

いつ死ぬかいつ死ぬかと
人はもっとびくびくしながら
生きていてもおかしくありません

びくびく恐れることも
それは止まっているからできる事
あまりにも超高速で前進しているから
死だとか終わりだとかを心配できません

「心配しなくていい」でも
「心配すべきではない」でもなく
そもそも心配ができません

「ほんとそれどころじゃない」という感じです

「困っている人を助けよう」とか
「みんなに有用な知識を教えてあげよう」とか
そんなことも思いつかない
「するべきではない」でも
「しなくてもいい」でもなく
そもそもそんなことは思いつかない

ほんとそれどころじゃない

神様はなぜ明確な指示をくれないのか

神様でも
守護霊でも
ハイアーセルフでも
金星のバシャール様でも
なんでもいいのですが

あなたを高次元から導いてくれる
そんな存在が本当にいるなら

あまりにも無口だと思いませんか?
なぜもっと明確なメッセージを
もっと頻繁にくれないのでしょう?

 

私が思うには

多分あなたがこの瞬間にも
恐ろしい速度で前進している
そこに理由があります

だってすごい速度で突進中に
そんな存在からメッセージをもらったら
あなたはつい
止まろうとするでしょ
そこで足を止めるでしょ

そして足を止めて
「このメッセージを毎日読み返そう」とか
「みんなに教えてあげなくちゃ」とか
ついやっちゃいます
これがすべてを台無しにするんです

そのまま前進を続けていれば
もっともっとすごい事が待っているのに

それは自分で否定しています

「どんな願いでもかなう秘訣」なるものを
教える方がいます

「願望が現実化する法則」
を解説する本があります

それは「誰もが持っている
 あたりまえの能力」らしいです

「誰もが持っているあたりまえの能力」を
なぜあなたは高い場所から偉そうに
みんなに教えようとするのですか?

「誰もが持っているあたりまえの能力」を
なぜ仰々しいタイトルの本にするのですか?

その行為が逆に
「誰もが持っているあたりまえの能力」を否定しています

だって
「窒息しないために呼吸しましょう」を
教える人はいません

「喉がかわいたら水を飲むべきである」と
教える本はありません

偉そうに人に教えることが
わざわざ本やブログで発表することが
「誰もが持っているあたりまえの能力」を否定してしまいます

雨粒をコレクションする人

あなたは今この瞬間も超高速で前進しています
わかりやすいイメージとして
大雨の中を全力疾走していると思ってください

あなたの全身はずぶ濡れ
あなたの頭にも顔にも体にも
雨がバチバチ当たっています

そこでついやってしまうのが
ちょうど鼻の真ん中に当たった雨粒を
「これは特別な雨粒だ!」と思ってしまうこと

あなたはその雨粒を仰々しい小瓶に入れます
小瓶の形は様々で
知識とか仕事とか結婚とか家庭とか家族とか
財産とか芸術とか社会貢献とか人づきあいとか

あなたはその大事な小瓶をもったいぶりながら
人に自慢します
「これを見てくれ、どうだい?」
「素晴らしいです!」
「そうかそうか、よし特別に少し分けてあげよう」
この時にあなたもその見せた相手も
土砂降りの大雨の中です
頭の先からつま先までグシャグシャのずぶ濡れです

何を大切にするかは
人それぞれですから
あなたがその雨粒だけを特別に考えること
そのこと自体は特に悪い事ではありません
ただしあまりにもまぬけな光景です

そしてあなたの足がそこで止まってしまいます
あなたが雨粒を見せた相手の足も止めてしまう

新聞でもテレビでも
SNSでも動画配信でも
学校でも病院でも会社でも
国会でも町内会でも
雨粒コレクターたちが
自分の大切な小瓶を
これみよがしに見せびらかしています